中学校の先生のホンネ

サラリーマンから公立中学校の先生に転職した私が、現場の実際のところや日々感じること、思うところをまとめていきます。これから先生になろうと考えている人、現場の先生がただけでなく、学校と何らかのかかわりのある全ての方に読んでもらえたら嬉しいです。

荒れると教師の仲が良い?”荒れ”のサイクルと職員関係の相関性

夏休みにブログを立ち上げて早1か月が経ちました。

アクセス解析を見ると、夏休みと比べて、学校が始まってからでは閲覧数ががくんと下がる。。。

やはり業務が始まるとネットサーフィン(もはや死語?)をする時間も取れない、という方が多いのでしょうね。

 

現に私も、なかなかブログが更新できない状態が続いていました。今はちょうど、定期試験期間ということもあって、少し落ち着いてキーボードをたたくことができています。

 

少しでも多くの人に学校現場を、教師という仕事を知ってほしいという思いは変わらないので、今後もちょくちょく記事を書いていこうと思います。

 

 

ところで、私が勤務する学校は現在、とても落ち着いた学校です。

 

最近はあまり見られない(というかマスメディアに、国民に飽きられてしまった)”いじめ”によって大きな問題が起きるわけでもなく、授業には全員が落ち着いて参加し、抜け出す生徒はゼロ。廊下の窓際には花瓶がいくつも飾ってあるし、遊び道具になりそうな荷物運び用の台車や、ウォッシャー(ちょっとでっかい電動たわしみたいなやつです)だってそこらへんに放置。窓ガラスが割れようものならちょっとした事件みたいに扱われてしまう。そのくらい落ち着いています。笑。

 

しかし、私が赴任するよりも前の約5年前、勤務校は比較的荒れた学校だったようです。上述した状況とはまるで逆で、異装(学校指定の制服を着ない)がわんさか、茶髪金髪当たり前、そんな輩が職員室を平然とうろうろしたりと、好き放題されていたみたいです。

 

年配の先生に聞くと、こうした荒れ→平和→荒れ→平和・・・というサイクルは、5年~10年くらいで起こるとのこと。

 

その要因として、学校が平和な状況になったことによる”職員集団の平和ボケ”は否めないのでは、と思うようになりました。

 

 

 

学校が平和になると、危機管理意識は日々低くなっていくことを感じます。校内に置かれた花瓶や台車がまさにそうです。荒れた学校なら、すぐに割られたり遊び道具にされたりします。職員ロッカーも施錠なしでいられるのは、平和な学校だからでしょう。

 

そうすると、教師集団は出来のよい生徒たちに甘えます。生徒がしっかりしているんだから、これくらいで大丈夫だろう、という感覚です。

 

確かに、短期的に見れば大丈夫です。が、どんなに良い学年でも悪の芽はゼロではない。その隙を見逃さずに突いてくる生徒は出てくるわけで、その悪に流されるトリマキだってゼロではない。真似をしたりする。

 

こうして悪は数を増やし、その影響を広めていき、ついには学校全体に荒れの空気をもたらす。これが5年~10年周期で来るのでしょう。

 

 

 

1度”荒れ”の状態になるとなかなか止まらないのは、先輩後輩という上下のつながりが大きいです。後から入る後輩は先輩の話を聞いて入学しますから、どこまで(悪いことをして)OKかというラインが予め装備されています。厄介です。

 

まずは、上下の関係を断ち切る努力をします。もちろん「あいつと付き合うな!」なんてことは言いませんし言えませんが、クラスメイトに声をかけて周りを固めてもらったり、保護者の協力が得られるなら状況を正直に伝えて今後のことを相談します。

 

※たいていの場合、生徒が荒れている時は保護者の協力は得られないケースのほうが多いです。お仕事でおうちにいなかったり、一人親だったり、ネグレクト(育児放棄)だったり、・・・こうなってしまうとなかなか更生の道が遠いです。昨今のように事件に巻き込まれないよう、命をつなぐだけでめいっぱい、ということもあります。

 

 

 

こんな””荒れ”の状況になるとひとつだけ良いことがあります。それは”職員関係が親密になる”という点です。

 

 

 

学校現場は教育活動の場です。学習指導要領という、各教科で教えるべきことは決まっていますが、道徳的な部分ではその教育は各教師が大切にしていることをメッセージとして生徒に発信することが多く、そのメッセージに偏りがあることは否めません。

 

私なら、ルールに従うだけのつまらない人間になるな!と言いますし、またある先生は真面目にルールを絶対守って人の言うことをしっかり聞けばよい、という先生もいます。

 

誰もが「育てたい」というコアの欲求は同じ(温度差はありますが…)でも、その方向性は文字通り千差万別。学校教育目標を掲げていたとしても、どうしても人によって違います。

 

企業なら、企業理念があって行動規範があり、最終的には経済活動ですから、どんなにブレても「金を作る」という点では目的は明確です。つまり一枚岩になりやすいです。

 

学校は、お金儲けの場ではなく教育活動の場ですから、平和になると個々人の教育論を各自が熱く語る、いわば「個人事業主の集まり」のような状態になりがちです。

 

ところが、先ほどのような”荒れ”の状態になると、それが職員共通の”課題”、言い方はあまりよくないですが、共通の”敵”が現れた状態になるのです。どんな職場でも、現場社員から見て上層部に不満があれば、現場社員は一致団結するでしょう?笑

 

なるべく学校が”平和”の状態の時に職員関係を密にし、来るべき”荒れ”に備えておく。”荒れ”がボヤ程度で済むように、準備をしておく。それが本当は理想なのだと思います。

 

ですが、忙しさにかまけて、そして平和な生徒たちに甘えて、そこを怠る。関係は希薄になり、連携がとりづらくなる。そして悪の芽が隙をつく…結局またサイクルに入る。

 

 

 

今は”平和”期にあるから良いですが、いずれまた”荒れ”はやってくると思います。それは、生徒側にも責任はあれど、隙を見せる職員集団にも大きな原因はあると思います。自戒を込めて、”平和”な学校でも、”荒れ”た時にすぐさま沈静化できるよう、危機管理意識は常に持ち合わせて日々の業務に取り組んでいきたいところですね。

 

きっと民間企業にお勤めの方からしたら「甘い!これだから教員は…」と思われるでしょう。企業ならリスク管理など当たり前ですからね。この学校現場独特の「ユルさ」みたいなものは、早めに消えていってほしいなぁと願うばかりです。