中学校の先生のホンネ

サラリーマンから公立中学校の先生に転職した私が、現場の実際のところや日々感じること、思うところをまとめていきます。これから先生になろうと考えている人、現場の先生がただけでなく、学校と何らかのかかわりのある全ての方に読んでもらえたら嬉しいです。

誰のための文化祭?生徒の頑張りと職員の支援のバランス

前回の記事更新からあっという間に1か月経ちました。

 

この1カ月は何をしていたかというと、例年通り、合唱コンクールに向けての練習がほぼ毎日放課後にありました。

併せて行われる、文化祭のステージ発表の準備や、展示団体の準備ももちろん同時進行。今年は職員の仕事の割り振りがイマイチだったのか、どう考えても無理でしょう!という職員分担で、とある先生がヒーヒー言ってました。

 

この辺は来年度への反省としてつなげるとして、本記事では、現在の公立中学校における文化祭そのものの在り方について、ちょっとまとめてみたいと思います。

 

 

文化祭とは、”児童生徒の”日常活動による成果の発表などの目的で行われる、学校行事です。児童生徒を強調したのは、職員の手が入りすぎる文化祭は、どうも本来の趣旨から逸れるよなー、と思った点です。

 

私が中学生の頃は、授業時間数も比較的余裕があったのか、各クラスで出し物を決めて、教室でお化け屋敷をやったり、縁日をやったり、プラネタリウムを作ったり、缶でアートを作ったり、色々やってました。それにかかる準備たるや、それはもう多大な時間を要したものです。私が中学生の頃、といっても、たかだか15年ほど前という、割と最近の話です。

 

ところが、今では国が出す各教科の年間授業時間数を満たすために、1日6時間授業がほぼ毎日。それでも日にちが足りないから土曜授業もやろうかと検討し始めるレベル(土曜授業を”やってはいけない”とは国が言っていないので…土曜授業をやるかどうかは、各学校に任せる、というスタンスです)。文化祭でそう何日も何時間もとってられないのが現状です。

 

じゃあ文化祭をどうするかというと、有志団体(習い事でやっているダンス、学校の時間外で練習したお笑いなど)や委員会、部活動(吹奏楽部、科学部など)の発表の場として、それをみんなで観ましょう、という形で存続しています。

 

ただし、合唱コンクール合唱コンクールでしっかりやる。これはやらなければならない、という取り決めがあるからです。正確には、中学校における「特別活動」の中に「文化的行事」を行い、文化や芸術を楽しみながら集団生活能力の向上を図る、というような文言です。したがって、合唱コンクールでなくとも、クラスごとの劇の発表などもOKです。実際にそういう学校もあるそうですね。

 

 

 

・・・少し話がそれてしまいましたが、発表には体育館のようなステージを使うものと、お化け屋敷のように教室を使うものと、2つに分かれます。

 

私の勤務先では、1日を2つに分け、午前にステージ発表、午後に教室を使った展示発表、という形で文化祭、としています。

 

教室での展示発表は、クラスごとに何かを用意する、ということではなく、やはり委員会からの出展です。

 

委員会だけでは数があまり揃わない、ということで編み出された?のが、”各教科”という枠組みです。

 

例えば、英語なら夏休み中に作成してきた家族紹介スピーチを掲示し、見てもらう。理科なら、自由研究のレポートを置いて置き、見てもらう。最初は私もなるほど!と思いました。

 

大人からすれば非常に有意義な時間にも見えるのですが、勉強に意欲がわかない生徒にとっては苦しい。展示の時間にダラダラしたり、下級生に展示見学の内容を記録するカードを預けて、代わりに書かせる、なんてこともあり、トラブルが目につきます。

 

準備の時間さえ確保できれば、クラスでもっとエンタメ色の強い出しものをやれるのに…と思うばかり。現実問題、時間が足りないという物理的制約が厳しい状況なだけに致し方ないのですが、釈然としない思いでいっぱいです。

 

 

 

では、ステージ発表はどうかというと、こちらも有志団体がどれだけ出てくるか、で変わってきます。特に何も出なければ、時間的にはかなり短くなるし、派手さは失われる。なので、職員は懸命に学年生徒にプッシュします。

 

「ねぇねぇ、◎◎習っているんだよね?ちょっと文化祭のステージでやろうよ!」

 

こんな話をすると、ノッてくる子はそれなりにいますので、ある程度の頭数が揃って無事にステージ発表の部が、出来上がりです。

 

 

 

本題に入るまでが長くなりましたが、こっからです。汗。

 

文化祭の裏方(総務的立ち位置)は、各学級の代表である実行委員が担います。そこから再び各担当に分かれて、それぞれの仕事をこなします。

 

おととしから、比較的PC関係のスキルのある職員が増えたので、文化発表会のクオリティは年々上がってきました。

 

ただ、上がったのは生徒の頑張り本体よりも、職員が手をこんで作った映像コンテンツ。

 

かくいう私も1本、生徒が取り組んだ仕事に花を添えるために、映像を1本作製しました。VideoStudioを使えるようになると、やってしまうものです。

 

なぜやるかというと、生徒の反応はすこぶるイイ。笑。そりゃー派手な映像で爆音鳴らして映像見せられたら、ちょっとはテンション上がるでしょう。

 

ただ、なくてもいい映像があったのも事実。これは明らかに先生の自己満足でしょう、というものです。生徒の頑張りを盛り込んだわけでもなく、文化発表会のクオリティが上がる、という観点に寄りすぎると、主役である生徒がかすむほどの映像を作ってしまうわけです。

 

要は、文化祭で職員が頑張りすぎたら、それって本末転倒だよね、という話です。

 

文化祭のクオリティが下がっても、また生徒から映像作成をお願いされても、そして生徒からも保護者からもそこらへんは気にしないと言われても、やはり基本路線は生徒の頑張りが主体になるような支援を、職員がやらなければならないと思うのです。仮にそれが、文化祭としてクオリティが下がったとしても、生徒の頑張りが主体となり、認めあえる空気がそこにあるのなら、それこそが文化祭の成功となるからです。

 

 

長くなりましたが、職員は出しゃばらなほうがいいよね、という話でした。たぶん。汗。