子どものために”親”と戦う。生徒指導で時折感じるジレンマ
この仕事をしていて私がいいな、と感じるのは「お金もうけのことを考えなくていい」というコトです。
私が民間企業に勤めていた頃、どうしてもバランスがとれなかった2つの項目が「顧客満足」と「自社利益」でした。いっぱしの営業マンである以上、この双方を満たしてはじめてプロだと思うのです。そういう意味では、私は半人前の営業マンどまり。目標達成もままならない、中途半端なヤツでした。
学校に入ると、考えるのは「子どもの健全な成長」だけ。子どものためになるのなら、法律を侵さない、常軌を逸しない限りはなんでもOK。とにかく子どものためになることだけをガムシャラにやってきましたし、それができる教師という仕事は本当にありがたい職業だなと思っています。
ですが、所詮教師。子どもの親ではないです。子どもと一緒に暮らして一生付き合えるわけでもないです。最後は必ず親の元へ帰る。
この”親”という存在が、時として、営業時代に感じたようなジレンマを生み出すのです。
教育というのは、コレ!という正解がありません。人が100人いれば、100通りの考え方があるように、家が100軒あれば、これもまた100通りの教育方針がありますから、場合によっては学校の指導方針とはソリが合わずにケンカになることもあります。
こちら(教師)が子どものために、と思ってやったことも、その親が「それは違う」と指導されたら、それまでです。
でもこれは、仕方ないコトです。なぜなら、私たち教師はあくまで「他人の子どもを教育する権利」を持っているだけで、最終的な義務や責任は親が負います。だから、親が教育方針については最終ジャッジをするのです。親の言うことにはそれ以上、こちらからは踏み込めない。生徒への指導をやりすぎても、越権行為となる場合もあります。何せ、私たちは最終的な責任を取ることができないからです。
だからといって、明らかに「これはおかしいだろ・・・」という親の指導方針を、黙って見過ごすわけにもいかない(余計なお世話が好きな人が多いんです^^;)。言ったところで、聞いてくれないという思いもありますが、やれるだけのことはやりたいんです。少なくとも私は。
伝えたところで、親は変わらないかもしれない。教師をボロクソに非難するかもしれないし、それによって子どもから反発を受けるかもしれない。
それでも、やらなきゃ子どもが不幸になる。
親だって、一生懸命子を育てようとしているのだから、全否定もできません。思いだけ伝えて、それが親に伝わったら御の字。ダメならダメで諦める。
…こんな話、自分が親になれば、また見方は変わるのでしょうね。これからも考え続けていきたいと思います。