ついに精神崩壊!?私がサラリーマンから教師に転職するまで(その2)
実は、昨年の春に籍を入れた妻が、いよいよ妊娠しました。
そのせいなのか(いや、そのせいだと信じたい…)、ちょっとしたことですぐイライラして怒りを私にぶつけてきます。
ご飯はすべて私が作り、食料品の買い出しもして、ゴミ出しもして、洗濯物は時々回して干して、畳むのは必ずやる。妻には時々の洗濯物回しとそうじ、お皿洗いをお願いしている状況なのですが、おそらく自分の体調のことでめいっぱいなのでしょう。怒りをバンバンぶつけてきます。苦笑。
妊婦は葉酸やビタミンの摂取が良いと聞くので、部活で仲良くしている顧問の先生から教わった小松菜、ホウレンソウ、ブロッコリーを毎食に必ず1品は入れて出しています。これも効果ナシ。笑。
職場の養護教諭の方が少し先を行く妊婦さんなので、アドバイスをもらった技のひとつ「つわり時期でも食べられそうなものを考えて買ってくる」という作戦も、ミカンゼリーを買ってきてアピールするも特に反応なし。笑。
こうして旦那は、妻のいるリビングで一緒に時を過ごしながらブログ更新に勤しむのでした…苦笑。
さて、私の転職ヒストリーの続きです。なんのことだかよくわからないよー!という方はひとつ前の記事からお読みください^^;
challenge-teacher.hatenablog.com
新卒2年目として引き続きベンチャー企業で働き続ける私。後輩ができたにはできたのですが、部署が異なるということもあり、1番下であることには変わり有りませんでした。私が在籍しているこの1年だけでも、中途入社の社員さんが出たり入ったり。もちろんやめていく方もそれなりにいらっしゃって、離職率は比較的高い会社だったように感じます。
もちろん、立ち上げて間もない時期、資金繰りも非常に厳しいとあっては、そうそう社員の状況も落ち着くものでもありません。社長は社員の満足度向上のために飲み会を定期的に企画したりしていましたが、肝心の事業が好転しない、具体的には「スケールしない:市場がないわけではないが、拡大しない」」という点で、課題を抱えていました。拡大には市場の認知拡大も必要でしたし、インバウンド営業への転換をしないと営業マンの人数増→売上増、という単純な足し算でしか計算が立たない状況だったのです。
そもそも、社長が創業時にやりたかったことは、この時点での本業ではなかったので、新規事業の立ち上げも計画はしていました。しかし、本業がしっかりとしないと新規事業に手を伸ばすリソースの余裕も見通しもなかったため、ひたすら自転車操業的に営業を続けていたわけで、閉塞感もあるにはありました。
私はその間も、引き続き先輩におんぶにだっこ状態。なかなか立派な独り立ち状態になることもできず、ひたすらに自分を追いつめる生活をしていました。
土日は上司や社長から営業資料の作成宿題を出されて休みなし。カフェに行ってパソコンを開き、ひたすら資料作成に明け暮れる。平日はほぼ毎日終電。家に帰るのは1時過ぎ。そこから取引先にメールを打ったり資料を作成したりして、寝るのは3時。起きるのは6時。1日の平均睡眠時間は3時間という日がザラでした。今思えば、良く生きていたなぁと思います。汗。
しかも、毎月の営業数字に追われる日々。私にはこの、営業数字に追われるというのがどうしても慣れない。上司や社長のプレッシャーも半端ではなかったです。あまりに数字ができない(売り上げが作れない)ということで、社長から「お前、来月から給料を完全歩合制にするぞ」と半ば脅されました。
私は「もうそれでもいい。不退転の覚悟で仕事をする。退路は断とう」と腹をくくり、その提案を受諾しました。
ところが、私の上司は社長の提言を止めてくれました。私の最低限の生活を守るためです。本当にカッコイイ上司で、仕事だけでいえば今でも憧れですし、尊敬しています。メッチャ怖かったですが。苦笑。
ただし、日々の壮絶な数字へのプレッシャー、明らかに睡眠不足な毎日、土日のない生活。こんな生活を続けていて平気でいられるわけではなく、精神的にも肉体的にも蝕まれていきました。
まず夏前に、大学3年の頃からお付き合いしていた彼女と別れます。もはや彼女と過ごす時間=時間のムダ、と考えるようになっていました。なんとも悲しく、寂しい人間だなぁと今は思いますが、当時の自分には仕事のプレッシャーがある中で楽しめるはずもなく、デートにも仕事用のパソコンを持ち歩いて時折メールを返すような状況でした。
しかし、もちろん遊ぶ余裕もほとんどなかったので、生活はますます仕事一色に。実家を出て一人暮らしをはじめたこともあり、精神的にふさぎこんでいきます。
そしてある朝、いよいよ精神的に崩壊します。会社に行けなくなりました。
頭では行かなければならない、ということがわかっていても、体が動かない。自分は精神的におかしい人間なんだ、きっとそうに違いない、と、インターネットを使って精神病のことを調べ「あ・・・これが当てはまる!絶対これだ!!」と思い込み、当時の家の近くにあった精神科にかかりました。
ところが、そこの先生の一言は意外なものでした。
「…気のせいじゃない?」
・・・拍子抜けです。笑。
おそらくですが、まだ精神的に病むギリギリのところだったのでしょう。私が「一度信頼した人の言うことは理屈なしに信じてしまう」という性格だということを見抜いて、思いこませるために放った一言だったのでしょう。病気ではない、と。
おかげで、その日の午後からすぐに会社に復帰。笑。自分の状態はよくわかりませんでしたが、再び激務の日々に飛び込んでいくことになりました。
もう2度とこのような生活はしたくはありませんが、これだけ精神的にギリギリの状況まで追いつめられると、大抵のことなら「なんだそんなことか!」と笑ってやり過ごせるようになってしまうのだから、人間とは恐ろしいものです。一度地獄の底を通った人間は、強くなります。痛みを知った人間は、優しくなれます。そういうものだということを肌で味わいました。
そして、社会人2年目が終わろうとしていた2011年の3月。文字通り日本を揺るがす大事件が起こり、私の人生が変わることとなります。
…すみません、第3弾に続きます。苦笑。