中学校の先生のホンネ

サラリーマンから公立中学校の先生に転職した私が、現場の実際のところや日々感じること、思うところをまとめていきます。これから先生になろうと考えている人、現場の先生がただけでなく、学校と何らかのかかわりのある全ての方に読んでもらえたら嬉しいです。

東日本大震災が教えてくれたもの。私がサラリーマンから教師に転職するまで(その3)

2016年。学校が再開して2週目に入りました。

 

私の勤務校では「教育相談」といって、夏休み・冬休み明けには必ず生徒と担任の1対1面談を行っています。

 

長期の休みというのは、子どもたちにとって変化が起こりやすいもの。夏休みと比べれば、冬休み中の変化というのは大きなものではないことが多いですが、生徒のようすを観察して不安やストレスなどがないかを確認するわけです。

 

もう中学生(芸人ではないですよ)、されど中学生。まだまだ精神的には発展途上ですから、サポートは必要な時期です。あまり過保護になってもいけませんが、不安が解消できるような支援が求められます。

 

自分が中学生の頃、こんなことしてくれていたのかなぁ?と思い返してみても全く思い当たるフシはないのですが(苦笑)、きっと支えてくれていたことと思います。

 

お世話になった教師に感謝するのは、こうして何年も経った後。そう思うと、今目の前にいる生徒に憎まれ口を叩かれようが何だろうが「まぁ、いずれわかってくれる(かもしれない)のでいいや」と、ドーンと構えることができます。

 

改めて、営業などの「短期的な売上・利益」と比べて、目に見えにくく、人生という尺度で見るほど、めちゃめちゃ長いスパンで向き合っていく仕事なんだなぁと思うばかりです。

 

 

さて、今日は連載企画(?)「私がサラリーマンに転職するまで」の第3弾です。これを打ちながら「何が連載企画だよ、作家でもあるまいし」と自分で自分にツッコミを入れています。苦笑。以前の記事は下記リンクからどうぞ。

 

challenge-teacher.hatenablog.com

challenge-teacher.hatenablog.com

 

さて、2011年3月に何が起きたか、といえば、だいたいの想像はつくかと思います。正確には、3月11日。東日本大震災です。

 

当時の私は、表参道に構える本社(ベンチャーながら、当社はいっちょまえに大阪支店も持っていました)のデスクで営業電話をかける準備をしていたことと思います。比較的大きなコンクリート打ちの一戸建てを事務所代わりにしたオシャレなオフィスは、ガタガタと小さな振動が起きた後、ドカン!!ガタン!!ズゴン!!と20秒くらい、オフィス全体が揺れたことを覚えています。別の営業マンは新宿の高層ビルにいたらしく、事務所に帰ってきてから「ビルがビヨンビヨンしていた」と言っていました…怖。

 

東日本全体を揺るがしたこの大地震。その日、会社から住んでいた世田谷のアパートに帰るのはもちろん困難で、小田急線もろくに動かない状況でした。なんとか下北沢までは進めたので、よくわからないラーメン屋に入って、少しずつ入ってきた日本の現状が、店内につるされたテレビを通じて伝わってきました。

 

家に着いたのは夜中の2時頃。アパートで一人で寝るのはとても不安な気持ちでしたが、公共交通機関が完全にマヒしていたので実家に帰ることもできない。下北沢で食べたラーメンで満たされたお腹のおかげもあり、私は眠りについたのだと思います。

 

翌日は土曜日。朝起きてテレビをつけると、夜が明けたことで、東北を中心とした被災状況があらわになってきました。その映像を、私はアパートに一人で、何時間もぼうっと見つめていました。

 

この世のものとは思えないものを目にしたとき、人は何も考えられなくなるのですね。少なくとも私には、しばらくぼうっとするしかできなかったんです。そして、暫くして出てきたのは、いうなれば私の生き方を変えるひとつの理のようなものでした。

 

 

 

「あぁ、ヒトっていつ死んでもおかしくないんだな。だったら、今この瞬間に”やりたい”と思うことをめいっぱいやらなきゃ、後悔するわ」

 

 

 

これが私の人生の基本方針であり、今、私が子どもに指導する際の礎にもなっている考え方です。

 

私には震災で亡くなられた方々の中に親族も友人も恋人もいません。いませんが、とても大きな衝撃を受けましたし、「今働いていることが本当にやりたい事なの?」と自問するきっかけになりました。

 

ベンチャー企業で働き始めて丸2年が経とうとしていた時に起きた大地震。その時にようやく、私は「あ、教師をやりたいんだ」という気持ちに気づかされました。

 

元々、大学を卒業する時に「教員になるか、それとも民間企業に就職するか」で悩んだ経緯もありました。当時は「社会を知らずに教員になることへの恐怖」が先に立ち、教員になるのは後からでも遅くはないと考え、ベンチャー企業に就職しました。しかし、そんな中途半端な気持ちで勤まるほどベンチャーの世界は甘くなく、未知の経験を乗り越えたことで得た成長と、未知の経験を乗り越えるために受けた疲弊は、私を辟易とさせるのに充分な2年間となりました。

 

私にとって、この時、民間企業で働くことへのこだわりは一切ありませんでしたので、転職に向けて動き出す覚悟はすぐに決まり、翌月4月、3年目を迎えた最初の月に、社長に退職を申し入れることに決めました。

 

 

 

…もちろん、これもすんなりと退職、というワケには行きませんでした。汗。次回、いよいよ退職に至るまでの2011年4月~2012年3月末に起こったことが明らかになりますよ。乞うご期待!笑。