中学校の先生のホンネ

サラリーマンから公立中学校の先生に転職した私が、現場の実際のところや日々感じること、思うところをまとめていきます。これから先生になろうと考えている人、現場の先生がただけでなく、学校と何らかのかかわりのある全ての方に読んでもらえたら嬉しいです。

平日は終電、土日はガリ勉。私がサラリーマンから教師に転職するまで(その4)

今年度もあと4登校日で終了。1年は本当にあっという間に過ぎていきますね。

 

あと4日でクラスの解散ということで、綺麗に終えるための準備も着々と進行中。今年はいつの間にか「体育祭で優勝したから、先生は焼肉をおごってくれるんだよね?」というわけのわからない論理を展開され(笑)、これをいかに対応するかがカギとなっております。

 

また、職員側は来年度の人事についての話題がもっぱらでしたが、いよいよその期間も明日で終わり。いよいよ人事発表です。

 

同じ自治体でも、発表の時期はまちまち。部活動で懇意にしている先生の学校は、先週の金曜日に発表がされたそうです。この辺は各校の異動人数と校長のさじ加減なのでしょう。

 

この、ギリギリまで来年度の組閣がはっきりしないのも、学校という組織の面白いところかもしれません。企業なら異動前の仕事引き継ぎ期間が設定されますが、学校の場合、例えば部活動で言えば4月から新顧問が部活を始める時、旧顧問は次の学校に転勤しているため、引き継ぎは1時間程度の立ち話くらいのものです。少なくとも私が着任した時はそうでした。

 

※協会登録のことや部費のことなどは書類である程度まとめてもらっていましたが、あとはヨロシク、という感じでした。こうならないように、本来であれば次の第一顧問になる職員を前年度から勤務させて、1年間かけてじっくり引き継ぎ、というのが一番理想的なのですが…毎度毎度、そうはいかないみたいです。私の場合は、たまたまそのハズレパターンだったようです。

 

ましては、私の場合はサラリーマンから急きょ先生。もちろん自分で選んだ道でしたから文句も何もありませんが、カルチャーショックがあったのは紛れもない事実です。でも、それすらも歓迎!と思えたのは、地獄のような転職活動の1年間があったからです。

 

 

2011年3月。東日本大震災を経て、4月から本格的に転職活動に動き出しました。今から約5年前のことです。

 

※それまでの経緯については以下リンクよりご参照ください。転職に至るまでの経緯をまとめてあります。

 

challenge-teacher.hatenablog.com

 

challenge-teacher.hatenablog.com

 

challenge-teacher.hatenablog.com

 

私の転職活動の計画はとてもシンプルで急でした。

基本、思い立ったらすぐ行動、というスタンスでしたので、一刻も早く転職したい。鉄は熱いうちに打て、ではないですが、まず本屋に行って教員採用試験の参考書を購入。私が所属する自治体の採用試験情報も調べました。

 

すると、ラッキーなことに、教員採用試験には一般的な筆記試験での受験方式とは別に、社会人や青年海外協力隊などの経験を見る採用方式がありました。私は、たまたま社会人経験年数が規定数を満たしていたので、その方式で2011年の夏に受験ができる、ということがわかったのです。

 

この方式で受験をすると、中学校で習う5教科9科目で構成される「一般教養」、教育基本法や心理学などの教員としての基本的な知識を問う「教職教養」、そして自分が教える専門教科のスキルを問う「専門教養」の、すべての試験が免除されるのでした。ありがたい、ありがたすぎる制度。

 

その代わりとして用意されていたのが「小論文」と、その場で授業の指導案を作成する「指導案」でした。

 

「小論文」も「指導案」も書いたことはありませんでしたが、少なくとも教養の試験を受けるよりは圧倒的に負担は少ない。これならば、仕事をしながらでも受験ができそうだ、という”アタリ”をつけるところから、私の転職活動ははじまったのです。

 

これらを踏まえた上で、急に退職を切り出すのは、拾ってもらった会社にも上司にも失礼だと思ったので、1年後の退職を4月の段階で申し出ました。

 

ところが、上司はこの申し出にNO。決して大きな企業ではなかったので、転職活動を許してもらえなかったのです。

 

今思えば”転職活動を許さない”というのは全く以て筋違いで、許す、許さないの話ではない、というのは冷静な今だからわかることでした。当時は「許してもらえないなら退職します」という極端な選択肢しか取れなかったのです。

 

退職の意思まで伝えると、上司も本気と思ってくれたようで「(退職は認めないが)転職活動はしていいよ」というOKをもらい、本腰を入れて試験対策をすることとなりました。

 

 

 

しかし、この試験対策が本当にハード。平日は毎日終電帰りですから、まったくもって勉強する時間はゼロ。最初は採用試験の予備校に通うことも検討しましたが、会社の特性上、土日にも仕事が入ることがあったので、そういうわけにもいかず。結果、仕事のない土日に、喫茶店に朝から晩まで閉じこもって試験対策をする日々が7月まで続くこととなります。この間は本当の意味で休みゼロだったと思います。

 

どれだけ体力的にしんどくても、当時の私は「絶対に転職してやる!」という強い決意と「本当に転職できるのかな?」という非現実感が入り混じった不思議な感覚が支配していて、辛さよりも充実感のほうが勝っていたように感じます。

 

また、バックアップもありました。アルバイト時代に仲良くなった1つ年下の後輩が、臨時任用職員として働きながら同年の採用試験にチャレンジするということがわかり、国語の教員志望でもあった彼女に小論文の添削や面接指導などをお願いしたのです。彼女の力なくして、私の合格はなかったと思います。今でも大変感謝しています。

 

 

そんなこんなで2011年7月。いよいよ1次試験。うだるような暑さの中、試験会場の某高校まで歩いて行ったのをよく覚えています。

 

会社は2・8月に数字が凹みやすいという毎年の影響よろしく、見事に凹みそうな数字予測。そんな時に、私の採用試験1次通過の連絡が入ります。

 

ただし、受かったのは良かったのですが、私の調べは甘かった。

 

まさかこの時に、会社の捺印が入った、業務に従事したことを証明する職歴書が必要になるとは全く想像していなかったのです。4月の転職活動許可に続き、この職歴書のことで、上司と再びモメることになるのです。

 

…このシリーズ、いつまで続くのでしょう。その5に続きます。苦笑。