中学校の先生のホンネ

サラリーマンから公立中学校の先生に転職した私が、現場の実際のところや日々感じること、思うところをまとめていきます。これから先生になろうと考えている人、現場の先生がただけでなく、学校と何らかのかかわりのある全ての方に読んでもらえたら嬉しいです。

学校では教えてくれない?学校教育に”求められる事”が多い理由を考えてみた

前・後期制の学校は、この時期に後期中間試験を行っています。

 

私の学校では火・水に試験が行われ、明日からテスト返却。一晩で全員分の採点を終えて翌日に返却・解説するのはそれ相応の苦労を伴います。

 

ですが「テスト、何点だったかな~?」という子どもたちの期待と不安が入り混じった表情を思い浮かべると、やっぱりやらなきゃなぁ、と頑張ってしまうもの。この教員が持つ”良心”というやつが非常によくない。苦笑。

 

部活動やサービス残業(一般公務員とは別にある、教職員用の調整?手当で補完されていることになっているので、完全なサービス残業とは言えませんが)など、現行の教員をとりまく労務環境や制度は、こうした人間くさいところで支えられている部分も多分にあるかと思います。

 

今の状況に文句を言うつもりはありませんが、それくらい危うく、ぼんやりした組織であることは頭に入れておいてもよいかなと思います。

 

 

私はこのブログとは別に、SNSを利用しています。そこには、以前の職場でお世話になったビジネスの先輩方をはじめ、学生時代の友人、バイト仲間、同僚、卒業生、塾講師時代の生徒まで、さまざまな方とつながっています。

 

たまたま今日、おそらく前職時代に最もお世話になった方の投稿を見ていたら、気になるトピックがありました。それは、ベンチャー企業で働く人と、大企業病にかかっている人との違いと、それができるまでのプロセスについての言及です。

 

簡単にまとめると、、、

 

起業家やベンチャーではたらく人は、初めからビジネスアイデアや稼ぐ仕組みがあるわけではないので、貪欲にアンテナを高く張り、多方面から情報を仕入れて頭をひねり、ビジネスアイデアを生み出す。

 

生み出したビジネスが軌道に乗ると、これまでの資金繰りにひっ迫していた状況から気持ちに余裕が生まれる。

 

途中からジョインするメンバーは、立ち上げ時の”熱量”を知らないから、敷かれたレールを維持することに必死になって、新しいものを生み出さない体質に変わる。そして、少しずつ大企業病へ…という話でした。納得。確かにそうかもしれません。

 

このトピックは最終的に、「成功させる熱量」が成功への重要なカギになる、と締めくくっていたのですが、私が気になったのは「こういうことを学校でも教えてほしい」というコメントです。これがちょっとひっかかりました。

 

学校でも、同じとはいかなくとも、似たようなことは教えていると思うんですけど、どうですか?同業のみなさま。

 

例えば、定期試験に向けての学習。最後まで「理解すること」「点を取ること」にこだわった生徒というのは、1回で結果が出なくても、前期中間、前期期末、後期中間と、回を追うごとに着実にレベルアップしていくのが目に見えてわかります。ここには「絶対に成長してやる!」という覚悟ともいうべき”熱量”が同居している場合が多いです。

 

一方で、テキトーにやりすごしている生徒は結果もいい加減。たった3回の試験でもみるみるうちに点数は下がっていきます。

 

タイミングを見て、教師は生徒にアドバイスします。「お前、本気でやっているか?」と。テスト1週間前になって、まだゲームしたい、マンガ読みたいとか言って、限界ギリギリまでやっていないんじゃないか?本当にそれがお前のMAXか?と。

 

そこで気づける生徒は頑張るし、気づけない生徒は同じことを繰り返します。そんな生徒がいる限りは、こちらも繰り返し”熱量”が大事なんだ、ということをしつこく指導します。

 

こんな話、部活でも委員会活動でもなんでも、いくらでも転がっています。日常茶飯事です。私は特にこの”覚悟”という部分は非常に大事だと思っているタチなので余計に、です。

 

難しいのは、今、最前線でビジネスをやっている方が放つ”熱量”と、その”熱量”を理解した人が放つ”熱量”は、似て非なるものだけに、子どもへの浸透度には差が生まれます。そこはもちろん認めます。私が教員として一生懸命やっている”熱量”があったとして、ビジネス現場で生まれる”熱量”はまた違ったものです。多少、浸透度が低いのは勘弁していただきたいところです。

 

※だからこそ、手に職をつけたプロフェッショナルが学校に来て、1時間語って頂くような企画は大変効果的だと思うのです。そんな1㎜も自社の利益にならない活動に来てくれる人にそれだけの”熱量”があるかといえば、非常に怪しいのですが…。あぁ、ジレンマだなぁ。泣。

 

また、今のビジネスパーソンが「そういうことを学校で教えてほしい」と思っていたとしても、おそらく昔の中学校や高校、小学校ですら、同じようなことは教えていたはずです。ビジネス、という切り口では教えていなくても、教師が子どもを見ていれば、こいつはテキトー、こいつは一生懸命やってる、こいつはあと一歩、など、意外と気づくものです。

 

しかし、13歳かそこらの子どもでは、本当の意味で”熱量”が大切なんだ、ということにはなかなか気づけないものです。子どもだったから、気づかなかったんです。

 

気づかず大人になって、自分にとって大切なものが整理されてくる。自分の価値観が出来上がってくる。それぞれのライフスタイルにあわせて、それぞれが必要なもの、重要なことが変わってくる(もちろん、全てのライフスタイルに共通するコアはあると思います)。それらに気付いた後で、大人は、自分がそれらを学校で教わっていないということに”気づいた気”になり、学校の物足りなさを語る。そして学校はあれこれ求められる。時には批判される。

 

学校が民衆の批判や揶揄の対象になりやすいのは、こうしたヒトが成長過程で”認識する”までの時間のズレと、価値観の形成が関わっているのかな、と感じました。

 

学校という現場に入ってみてわかったのは、学校も結構いろいろやってるんだなぁ、ということ。工夫している先生はいらっしゃるし、反面逆もまたしかり。

 

教師側から見える学校の景色と、生徒側から見えるそれは、同じように見えて、全く違いました。現場に入っていない人に、これを100%理解してもらうことは難しいです。どんな職でも、やってみてナンボです。それでも、こういうことに対して少しでも理解が進んでほしいなと思いますし、だからこそこのブログを少しずつ広めていければなぁと思った水曜日の夜なのでした。

 

長文、最後までお読みいただき、ありがとうございました!